歩き遍路

2015年8月 3日 (月)

お遍路~仙遊寺、59番国分寺、61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺

こんばんは。お遍路の続きです。

4月5日(日)朝は、6時からお勤めと法話のあと朝食。
長い読経の間、ご住職のうしろで15歳くらいと10歳くらいの少年が、読経し太鼓をたたいていました。お寺で修行をしているのかしら。

お勤めをすませたあと、境内の出ると、ひんやりとした朝の澄んだ空気に包まれ、身も心も清められた気持ちになりました。

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山腹の山ツツジ

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山芍薬Img_3415
朝もやの中、8時前59番国分寺に向かって桜の花びらの絨毯を踏みしめて出発。

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昨日通った池の水鏡

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59番国分寺まで約8km、一時間半弱で到着。山を駆け下りたので予定より早い
天平13年(731年)聖武天皇の勅令により行基が建立。

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その後、焼失、復興を繰り返し、当時の場所より東に100mの現在の場所に移動。
本堂は寛政元年(1789年)43代住職恵光上人が金堂として建立したもの。
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大師堂

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握手すると願いがかなうと言われる握手修行大師
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唐椿が見ごろ

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伊予の10大椿とされ、大輪の花を咲かせている
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納経所横のベンケイソウ科カランコエ・ブミラ「白銀の舞」(和名)

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階段上に鉢を並べる工夫で花にボリューム感がある
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道の駅「今治湯の浦温泉」で昼食

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次の札所の順番は60番横峯寺だが遠いので後日にして、61番香園寺(こうおんじ)にお参りする。

聖徳太子(574~622)が用明天皇の病気平癒を願って開祖。弘法大師が訪れたのは大同年間(806~10)。

大聖堂は昭和51年に建てられた鉄筋コンクリートで音楽ホールか美術館のよう w(゚o゚)w
本堂と大師堂は2階で620ほどのいす席になっている。

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62番宝寿寺(ほうじゅじ)までは約1.3km、20分ほどで到着。

聖武天皇のころ伊予一の宮が建立され、道慈律師が勅命を受け別当寺として創建したと伝えられる。伊予三島水軍の菩提寺で大山岐神社の別当寺として栄えた。

弘法大師が大同年間、この地を訪れ光明皇后の姿をかたどった十一面観音菩薩像を彫りこれをご本尊とした。
寛永13年(1636年)に宥伝上人により現在の地に移転。

本堂は数年前からず~っと工事中だそうです ブルーシートで覆われ立入禁止の表示がされている。
納経所横に「霊場会とは関係ありません」と張り紙が貼られいて、1200記念の赤い御大師様のお札は頂けず、前後の寺でいただける。

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このお寺だけは納経は8時から(他の寺は7時から)で12時~1時まで昼休み。
参拝される方ご注意を 88ヶ寺あると、いろんなお寺があるのでしょうね。

大師堂
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こじんまりとしたお庭はきれいに掃き清められている


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63番吉祥寺(きちじょうじ)までは約1.5km。20分ほどで到着。
88ヶ寺で唯一毘沙門天をご本尊とする寺。
弘法大師が貧苦からの救済を祈願して弘仁年間に建立。
弘法大師は光を放つ檜を見つけ霊木と判断し、毘沙門天と脇仏の吉祥天像と善師童子を刻み堂宇を立て安置した。

かっては塔頭21坊を有したが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国攻めで全山を焼失され、万治2年(1659年)末寺であった檜寺と合併し現在の地に移り再建された。


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象が山門で守っているように見える。インドからの由来??
まだ新しい。 どなたかが寄進されたのかしら。

大師堂
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手水舎横のウコン桜が咲いていた。
黄色い八重咲で花弁が20枚ほどありボリュームがあり、華やかなピンクと異なった美しさに魅了されなぜか落ち着きを感じる。

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本堂
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橋の袂に神輿が乗っていました。

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伊予氷見駅より乗車。駅前の桜が満開。
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37394歩、歩いた。
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道の駅で買ったブロッコリー。お得感あり100円


































2015年7月18日 (土)

お遍路~56泰山寺、57番仙遊寺

4月4日(土)、午後からは 56番泰山寺(たいさんじ)は、のどかな田園地帯の高台にあり、山門がない。
弘法大師が弘仁6年に訪れ、毎年起きる蒼社川(そうじゃがわ)の氾濫を悪霊の祟りと恐れられていた村人たちを助け堤防を築いた。
土砂加持を行い、満願の日に現れた延命地蔵菩薩を本尊として建立された。

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本堂Img_3374
太子堂

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近くの休憩所には時計が設置されていて、わかりやすい標識に安心感。

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57番栄福寺は、嵯峨天皇の勅願に大師が弘仁年間に巡教。
海難事故の平易を祈り、府頭山山頂で護摩供養をすると阿弥陀如来が現れたのでご本尊とし創建されたと伝えられる。

明治以降、寺は山腹に移転。
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本堂

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大師堂
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池の周りの桜並木を眺めながら気持ちよく歩いていたが
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作礼山(されいざん)の山頂近い300mの高さに建つ仙遊寺が見えてきた。
このころは、朝出発が早かったので疲れが出てきて足が前(上)に進まない。
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仁王門からが長く急な山道。
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仙遊寺は天智天皇の勅令によって建立された。
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仁王門から境内に続く道は深い木立に囲まれている

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参道沿いに山芍薬がつぼみをつけ

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急な山道を登りきった境内の入口で88ヵ所のご本尊の石仏に囲まれた修行大師像が出迎えてくれた。Img_3400

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二層屋根の本堂Img_3404
大師堂

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宿坊前の満開の桜
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初めて宿坊に泊まった。食堂で夕食。
精進料理は見た目も美しく正に和食という感じ。

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ごま豆腐に土筆Img_3408
デザート

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テレビはないが清潔で広いお部屋でした。















2015年7月17日 (金)

お遍路~54番延命寺、55番南光坊

こんにちは。
前回は円明寺(えんみょうじ)から今治の手前まで雨の中、真っ暗な国道を30km近く歩いて(走った)
            ↓
http://riri28.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/index.html

今回は一日で5ヶ寺もお参りすることができた。

Aさんと坂出から始発のJRに乗って伊予亀岡で下車し8時半歩行開始。 

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桜が満開

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お接待のおみかんを一ついただく。親切な案内板に感謝。あと8㎞弱。

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国道196号線の海岸沿いを歩き途中の星浦海浜公園で休憩。

星の神が天から降ったという伝説をもつ美しい砂浜に、上から見ると星形に見えるモニュメンと造船の街らしく大きなプロペラが配置されている。
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対岸は来島ドッグ

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2時間ほど歩くと田園地帯に54番延命寺(えんめいじ)が見えてきた。
720年、行基が開祖。かっては近見山頂一帯にあったが、再三の戦火で現在の場所に移転。

元、今治城の城門であったといわれる山門。
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住職の私財で1704年(宝永元年)鋳造の梵鐘は今治市の有形文化財で年に一度大晦日の除夜の鐘に撞かれる。
(普段のとは別)

太師堂

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2か所ある梵鐘と本堂を写し忘れた (;;;´Д`)  また行こう。

遍路道の桜が満開だった。

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池の堤や

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別宮大山祇(べっくおおやまづみ)神社のそばを通り            

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隣の55番南光坊(なんこうぼう)に到着
南光坊は594年に大三島の大山祇神社の別宮として創立され、参拝されやすいよう24坊のうち8坊が四国本土に移され、その一つが南公坊だそうです。


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山門の内側と外側に四天王がいる。
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Img_3370本堂

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薬師堂Img_3366
太師堂

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何度も戦火にあい、宗派を移したり、戻ったり様々な変遷を経て現在に至っている。

次の寺にお参りする途中のお店で、昼食に生まれて初めてもんじゃ焼きを食べる。
作り方も独特。水分が多く、歩きのパワーには物足りないな~。 でもおいしかった。

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まだ半日あるけど、今日はここまで。


































2015年7月15日 (水)

きらびやかな天井絵の㊲岩本寺

こんばんは。
お遍路は5月末に結願し、まだ歩いていない観自在寺の少し手前までを今月末歩く予定です。

今頃、お話題も??ですが私の記録なので載せますね。
3月29日(日)お遍路2日目は雨でした。

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朝食はバイキング

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岩本寺の本堂には御本尊が不動明王、聖観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の5体いらっしゃいます。

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本堂の575枚の天井絵は昭和53本堂落成の折に窪重博住職により全国から集められました。
風景、花、鳥、人物など様々でマリリン・モンロウの肖像画もあるそうです。 
またゆっくりお参りしたい。           

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太子堂と右は円形木造の歓喜天堂(かんぎてんどう)

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大きな金剛杵Img_3247
開創1200年記念行事でご本尊でその身に矢を受け狩人を助けたという伝説の矢負(やおい)地蔵菩薩が開帳されました。
きれいに修復され、天井画に負けないカラフルで色鮮やかなお美しいお姿でした。
撮影不可でお見せできないのが残念。

窪川町の国道横に大観峰の登山口。五在所の峰(658m) 登るかもしれないので覚えておこう。

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が満開

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道の駅「なぶら土佐佐賀」はワラ焼のカツオのたたきで有名

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豪快

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昼食。ワラ焼きのカツオのたたきは私の住んでる町のスーパーなどとは全然違う。すごくおいしかった。

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左の看板に
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歴史を感じる煉瓦と苔
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トンネルを抜けると桜

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二日目は34684歩

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しばらく泊まりの遍路が続く。



























2015年7月 1日 (水)

お遍路 37番岩本寺へ

こんばんは。
3月28日(土)~29日(日)は岩本寺を打ちました。
今回からしばらく一泊の遍路。

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歌先生設計の遍路小屋

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高速道路が遍路道にかかったため代替えの道で高速道路の下を通って

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休憩所で給水などで体温調整
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そしたまた長い下りの階段

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峠を越えて

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里に下りてImg_3217_2
ゆういんぐ四万十で昼食。
この仁井田米のサイロが目印

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が咲き始め

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37番岩本寺に到着しましたが、5時を過ぎていたので納経は明日。

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夕食。今回はこのあたりで明日マラソン大会か何かイベントがあって,いつもの宿を予約できず、ワンランクの宿に変更になったらしい ラッキー 

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この日は28207歩。

2015年6月15日 (月)

一人遍路 68番神恵院(じんねいん)、69番観音寺(かんおんじ)、70番本山寺(もとやまじ)

こんばんは。
3月26日は神恵院、観音寺を打ちました。
朝、10時半に観音寺駅を出発。

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観音寺に向かう途中の橋には町を代表する寛永通宝と花が。
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一時間ほどで観音寺に着きました。

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大きな目が、どこか愛嬌のある仁王像

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2002年に新しく建立された神恵院(じんねいん)の本堂はコンクリートの打ちっぱなしと白木を組み合わせた大変モダンな建物で、中はコンサートが開けそうな広々とした空間。

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室町時代に足利尊氏の子、第45世大政大僧正作庭の巍巍園(ぎぎえん)
山の斜面や岩石や流水を利用した立体的な回遊式日本庭園は、ていねいに刈り込まれていました。

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太子堂Img_3114観音寺の本堂

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観音寺の太子堂

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納経のあと、裏山の松林の展望台から

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砂で描かれた寛永通宝は1633年(寛永10年)に丸亀藩主、生駒高俊公の領内を巡視を知りを歓迎するために地元の人たちによって一夜で作られたと言われる。

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「根上がりの松」
琴弾公園の東側にあり、老いた黒松の根が上がって地面に露出して、太さ1mの根が四方八方に広がっている。

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幹は天に向かって高く伸びている
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寄り道をして遅くなってしまった。
あの橋の向こうの70番本山寺に向かって川沿いを歩く。

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沿道に桜のつぼみImg_3161
五重塔が見えてきた

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根上がりの松から一時間余で、807年に天皇の勅願で弘法大師が開祖した70番本山寺に到着。
切妻造り、本瓦葺き。和様、唐様、天竺様の三つの様式を備えた山門は全国でも珍しく国指定の重要文化財。
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さっき遠くから見えた五重塔

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太子堂
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1300年建立の国宝の本堂は寄棟造り、本瓦葺きで外観は京都風、中は奈良風の造りだそうです。

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2万平方メートルの境内にどこから見ても絵になる五重塔。809年に建立されたが、損傷が激しく明治43年に建て替え。

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我関せずとばかりに納経所の前に座り込む黒猫、今も元気にしているかな~

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茅葺屋根の鎮守堂は室町時代末期の様式で霊神、善女龍王が祀られている

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遅い昼食を道沿いの「スシロー」に立ち寄る

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高瀬町に入って

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住宅地の遍路道で個人のお宅の外壁に親切な道標が。お遍路さんにとってはとてもうれしい。

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29251歩

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「根上がりの松」に寄り道をしたのと、道迷いで有明浜に出てしまって遅くなってしまった。

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夜道を歩くお遍路さんはあまり見かけない。






















2015年6月14日 (日)

一人遍路~84番屋島寺

こんばんは。
3月24日(火)はのあと帰宅し琴電潟元駅から屋島小学校の横を通り屋島寺へ。

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弘法大師が屋島に向かう途中、休憩をし、のどが渇いたので祈祷をしたところ岩の間から水が湧きでたといわれる水。「加持水」

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食わずのなしの近くに可愛いお地蔵さま。

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屋島寺までの上り坂は思ったよりきつく長かった。

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唐の鑑真和上が大宰府から奈良に向かう途中立ち寄り、北嶺に天平勝宝5年(753年)に開祖。その後弘法大師が嵯峨亜天皇の勅願により南嶺に伽藍を建立され、山岳仏教の修験場とし栄えた。

仁王門

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鎌倉時代後期に建てられた入母屋利造りの本堂は昭和32年から2年間かけて修復。


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蓑山大明神は、弘法大師が道に迷ったとき、蓑をかぶった老人に変化して太子を屋島山頂まで導いたと言われる太三郎狸を祀っている。
子宝、縁結び、家庭円満の神様。

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太子堂
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七福神

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清々しく広い境内。国指定の重文の鐘楼の梵鐘は貞応2年(1223年)に作られもの。
平家供養の鐘と言われる。
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標高約290mの山上からの景色。

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瑠璃宝池は、壇ノ浦合戦後源氏の兵士が刀を洗った血の池と呼ばれる。

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八栗寺への遍路道は急な下り坂で

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必死で下山

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山道横にスミレが咲いていた。車道を横切って

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しばらく細く急な山道を駆け下りるとフェンスが。
もう今更元の道に戻る気力はない。跳び越えようかと近づいてみると「イノシシ侵入防止柵。解放開閉にご協力を」とある。ロックは開いた。(;;;´Д`)

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あの向うの山が標高375mの八栗山。

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マルナカのそばの橋を渡り

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ここからあの山のふもとまで、5時までの納経は無理だな~。
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17974歩。今日は一ヶ寺 

2015年6月13日 (土)

44番大宝寺と久万高原町のお雛祭り

こんにちは。
3月22日(日)は歩きツアーで大宝寺です。

先月に乗った場所から8時半歩行開始。

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しばらく車道を歩く。

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1時間ほど歩くと標識が見えて来た。大宝寺まであと5km。

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途中の案内板には大宝寺の名前はまだ見えない。

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途中、三島神社で休憩。

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由緒ある神社のようだ。
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そろばん? どうやって使うんだろう。
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いよいよ大宝寺。

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結構急な坂道。

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福寿草

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山道を3時間近く歩いてやっと久万高原の町に出る。
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もうとっくに3月3日は過ぎているのにお雛祭り。

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各家庭で工夫して展示されている。
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軒下にも
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竹の利用もいろいろでおもしろい。

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杉の古木の林を通り抜けて
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43番明石寺から80km。海抜490mの大宝寺にやっとたどり着いた。

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大和朝廷の時代に百済から高僧が携えてきた十一面観音像を山中に安置し、飛鳥時代になって大宝元年に狩人の隼人兄弟が見つけ草庵を結んで祀った。

文武天皇が大寶寺と号し創建。
弘法大師が120年後にこの地を訪れ天台宗から真言宗に改宗。

その後、3度も火事にあって現在に至る。

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大正14年に再建された本堂

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太子堂
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33361歩、歩いた。

 





















2015年6月10日 (水)

一人遍路 一宮寺~潟元駅

こんにちは。
3月18日に83番一宮寺を打ちました。

前回と同じタイトルですが、最後の写真のあと作動しなくて、原因は容量がいっぱいのようで一応お引越しをしました。

同じタイトルでのお引越しはできないようですがなぜかできました。
理由はよくわからないけど、もし続けられなくなったらその時また対応しましょう((w´ω`w))

朝8時半に一宮駅に着き

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前回http://riri28.cocolog-nifty.com/blog/cat59817931/index.html 必死で歩いても納経時間に間に合わなかった一宮寺へ。

日本に仏教が伝えられて160年後の大宝年間(701~704)義淵(ぎえん)により創建され、のち行基により一宮寺と改められた。
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丁寧に掃き清められた清潔感のあるお庭でした。

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隣接する田村神社へは、節分祭や40年近く毎年お正月にお参りに来ているけど一宮寺は初めて。
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本堂の中に納経箱が置かれ、おみくじなども売られている。

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↑↓の時間差は?

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遍路道を聞こうとして立ち寄ったお店は偶然、先日お邪魔した「みもざ」さん。
長大の友人のお店で2時までモーニングのお店。
定年退職後、開かれてまだ1年のお店でお一人で奮闘されている。

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お客さんが道を教えてくださって マスターからお接待をいただいた。
「ありがとうミモザさん、改めてまたお邪魔しますね。」

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街中の遍路道はわかりにくい。どこを歩いてもいいのなら聞く必要もないんだけど遍路道を歩きたいので遅くなった。

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潟元駅に着いた頃は真っ暗。
少しでも多く歩いておきたかったので遅くなりましが、お遍路さんは4~5時に宿に着くのが一般的。
私は自宅なので大丈夫ですが、人目には暗闇を歩いているお遍路さん不気味だったかも・・・。あまり見かけないもの。(;´Д`A ```

2015年5月 4日 (月)

一人遍路 一宮寺~潟元駅

こんばんは。

3月18日一宮寺を打ちました。

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